ラーメンファンとして、以前から気になることがあった。丼の縁に、なぜ四角い渦巻きのような模様が描かれているのだろうか。古くからラーメン丼の「象徴」ともいえる模様で、今も老舗などに行くと、よく見かける。実は、この模様を最初に丼に描いた陶器卸店が、今も東京・かっぱ橋道具街で営業しているという。早速、取材した。
模様のルーツは古九谷から?
ラーメン丼の気になる渦巻き模様について教えてくれたのは、かっぱ橋「小松屋」社長の本(もと)健太郎氏(63)だ。「雷紋(らいもん)のことですね。古代中国では魔よけとして使われていたようです。雷をかたどった模様で、迷路のようになっていることから、(魔物が)迷っちゃうということらしいですね」。
店内には中華や和食の丼がずらりと並び、昭和初期や同20年代に作られたラーメン丼も残っている。現代の丼と比べると、意外なほど小さい。雷紋のほか、鳳凰(ほうおう)、龍、雲、コウモリ、双喜(喜の字が2つ並ぶ)など、さまざまな模様が描かれている。いずれも古代中国で魔よけや縁起物として使われていたという。
小松屋は1909年(明42)、石川県小松町(現小松市)から上京した本清太郎氏が店を構えた。当初は故郷の名産である九谷焼の陶器を売っていたという。3代目にあたる健太郎氏は「かっぱ橋に店を出したのは、うちが最初だと聞いています。装飾品の九谷焼はあまり売れず、それならば、近くの浅草の飲食店向けに食器を売ろうということになったようです」と言う。
1910年、日本初のラーメン店とされる来々軒が浅草で営業を開始する。この店が大繁盛したことで、都内にラーメン店や中華料理店が続々とオープンしていく。小松屋は来々軒とも取引があったという。
「最初の頃は、ラーメンも(親子丼などを入れる和食用の)錦丼を使っていたと思うんですよ。大正時代に入ってラーメン人気が広がり、それで先々代が(専用の)丼を作ろうということになった。中国の魔よけや縁起物などを入れた方が、それっぽいということで、こういう図柄になったのではないでしょうか」(健太郎氏)。
さまざまな図柄の中でメインにしたのが、丼の縁を彩る雷紋だ。創業者の清太郎氏は、もともと九谷焼を売っていた。「雷紋に似た模様は、九谷焼によく使われているんです。特に古九谷には必ずと言っていいほどありますね。そこから来た可能性も考えられます」(健太郎氏)。清太郎氏が自らの愛着のある模様を、新しい丼に採用したのかもしれない。
かつては王貞治氏の父の店でも使用
小松屋は再来年に創業110周年を迎える。昭和20年代には、プロ野球の王貞治氏の父仕福さんも頻繁に訪れた。東京・墨田区で中華料理店「五十番」を営んでいたが、そこで使っていたのが小松屋のラーメン丼。仕福さんは小学生だった貞治氏を連れ、よく自転車で丼を買いにきたという。
今も「めん徳二代目つじ田」「田中商店」「麺屋武蔵」など都内の数多い有名店が、小松屋の丼を使っている。「新しいスタイルの丼を使う店が多いですが、雷紋の丼の人気も復活しています。昔風のラーメンを出したいという店からの注文も増えていますよ」と健太郎さん。1世紀も前にかっぱ橋で生まれた雷紋丼の人気は、いまだに衰えていない。【田口辰男】
浅草に程近い南北約800メートルの通り沿いに、料理道具、食器、厨房(ちゅうぼう)設備、食品サンプルなどの問屋約170店が並ぶ。名前の由来は諸説あり、江戸時代に現地の掘割工事を行った合羽屋喜八が由来という説も。最寄り駅は東京メトロ銀座線田原町駅、日比谷線入谷駅。
「小松屋」電話:03-3841-2368
(2017年8月13日付日刊スポーツ紙面掲載)