諦めない、腐らない、言い訳しない

高校時代、178センチ、90キロだった体は179センチ、95~96キロになっていた。体重は5キロ程度しか増えなかったが、中身が違う。食事とトレーニングで強く速く動ける体に変えた。自分とラグビーにとことん向き合い、大学トップレベルで戦える心技体を作り上げた。

「諦めないこと、腐らないこと、めげないこと、言い訳しないこと。自分が目指すモデルを確立し、信じて進むこと」。身をもって体現した大石の言葉は、説得力が増す。2021年度のチームのスローガンは「MEIJI PRIDE」。大石は自らのプライドをかけて、自分の道を突き進んだ。

大学選手権準決勝、東海大戦でトライを決める大石
大学選手権準決勝、東海大戦でトライを決める大石

明治としてどう戦うのか、私生活も徹底

副将になってからは、自分に向いていたベクトルをチームにも向けた。「自分が試合に出られればいいという感覚では、勝てない。明治というチームとしてどう戦うのか、意識を持ち続けた」。

練習時に先頭に立って動いたり、声を出したりするのは当然で、私生活にも気を配った。「スリッパがそろっていなかったり、テーブルの角が乱れていたりしたら直していた。それをやらずに後悔するのが嫌だったので、気づいたら習慣になっていた」。ちょっとした気の緩みやほころびが、自分の心やチームの輪の乱れにならないよう「凡事徹底」した。毎回の食事を大切にし、戦うためのベースを整えた。

明大NO.8大石のサイン
明大NO.8大石のサイン

後輩たちへ「弱い心に負けないで」

念願だった大学日本一は逃した。しかし3年前、実力差に圧倒され、呆然としていた自分がここまで成長できたという達成感もある。だから、間もなく新チームがスタートする後輩たちに伝えたい。「今の3年以下は肉体的にも強い選手が多く、いわゆる“メイジらしい”パワーあふれるチームになれる。ラグビーだけ考えて、やれる時期は今しかない。これだけ恵まれた練習環境に素晴らしいコーチ陣、それをどう使うのか。自分なりに強い決断をして、弱い心に負けないで欲しい」。さらに「もちろん、相手がいることなんで」と前置きしながら「3連覇できる、力のある選手たちだから」とエールを送った。

4月からは、トップイーストリーグBグループのチームを持つ企業に就職。一旦、社会人としての経験を積み、いずれは母校・国学院久我山の指導者として花園での日本一を夢見ている。「現状に満足していないし、もっとうまくなりたい」。ラグビー修行の道半ば、大石はまだまだ歩みを止めない。

【アスレシピ編集部・飯田みさ代】

「あの環境で頑張った息子を誇りに思う」母則子さん

決勝で敗れて泣きじゃくる息子を見ながら、夫健嗣さん、次男雄介さんとともにメインスタンド2列目で観戦していた母則子さんも号泣していた。自身も大学時代から好きだったラグビー。夢の舞台で躍動する我が子の勇姿を見て「私の産んだ子か? と思うような不思議な感覚でした」。両親のすすめで小2から本格的に習い始めた息子は、期待をはるかに超える選手に成長した。

「花園で頑張ってきます」と話していた高校3年時の大石と則子さん(左)。あれから4年後、「MEIJI」ポーズを作る大石と則子さん
「花園で頑張ってきます」と話していた高校3年時の大石と則子さん(左)。あれから4年後、「MEIJI」ポーズを作る大石と則子さん

食事をはじめ生活面を支え、一緒に戦っていた高校時代までとは違い、寮で過ごした大学時代は、一歩引いて応援していた。ただ最後のシーズンを前に送り出す時は「さすがに胸が痛く、後悔のないようやって欲しいと願ってやまなかった」と振り返った。

長期オフの時だけ実家に戻る息子から、これまで多く語られることのなかった4年間の思いを初めて聞き、「我々の想像もつかない日々を過ごしてきたんだと思いました」としみじみ。「あの環境で4年間頑張ってきた息子を誇りに思います。あんなすごい競技場で、相手を止めようと必死で走っていた康太の姿を家族で応援できたこと、とても幸せでした。また、そんな時間をくれた息子にありがとうの気持ちでいっぱいです」。

則子さんは「『食事』という日常不可欠で当たり前のことを、ラグビー選手の息子を通して見直すことができた」とも語っていた。

高校時代、食事サポートをした管理栄養士・石村智子さんのコメント

康太くんは最初、則子さんに連れられて食事面談に来ていましたが、途中からスイッチが入って1対1のミーティングを行うようになりました。あの土台があったから、大学での大変な環境の中でも食事を整えることができたんでしょうね。最近は会ってはいませんが、写真や映像を見て体が変わったことは分かります。優勝できなかったのは悔しいでしょうが、ここまでよく頑張りましたね。

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