東京・築地から市場が消えてまもなく1カ月になる。深夜からせわしなく走りまわっていたターレーは姿を消し、長靴にねじりハチマキをした仲買人もめっきり減ってしまった。それでも、築地は元気。17日、築地町内の飲食49店舗が自慢のメニューで勝負するちょい飲みイベント「第5回築地はしご酒」が実施される。いつもは静かな宵闇の築地が陽気な酔っぱらいでごった返す。今年で創業55年のあの名店が初参加する。
東都グリル。
築地6丁目のビル街の地下1階にある食堂だ。昭和38年春創業―当時、翌年に日本で初めての五輪が開催される希望と野心が列島を包み込んでいたころになる。
東京中央卸売市場も大きく変換しようとしていたタイミングだった。
大手仲卸業者の東都水産が巨大な冷蔵庫棟を6丁目に所持していたが、その敷地を別に移して、テナントビルに建て替えようとしていた。地上8階、地下2階の当時ではニョキっと目立つ近代的なビルだった。親会社から「東都水ビル」と名付けられた。
1~8階はなんとか入居契約がとれたが、地下2階分が埋まらなかった。計画としては地下食堂街をつくるもくろみだったが、1軒も飛びついてくれなかった。「飲食は路面」という固定観念が打破できなかった。そこで、東都水産の担当者は、魚介類を運搬するオートバイや軽自動車を整備するのに取引があった関谷モータースに相談をした。
同社の社長が「オレの弟が器用でさ、料理もできるんだよ」。そのひと言で東都グリルが誕生した。この時代、食堂やレストランではなく「グリル」の響きがおいしそうな食べ物をつくりそうなので、東都水産の「東都」と組み合わせて店名となった。
それでも地下食堂の経営は大変で、毎月赤字を残してしまった。初代店主の渋谷忠夫さんは、テレビプロデューサーのテリー伊藤の実家の玉子焼き「丸武」と懇意にしていた。
あるとき、丸武のおかみさん(テリーの実母)が東都グリルを訪ねてきて「何もいわなくていいよ。これ使いな」と銀行の通帳と印鑑を置いていった。以後、東都グリルは、市場で働く大食漢の間で人気となり、経営回復していった。以後、同じように窮地に陥った仲間に丸武のおかみさんにしてもらったように「通帳と印鑑」を何度か差し出したという。
現代表の渋谷幸弘さん(63)は「築地のみなさんにかわいがっていただいた。はしご酒イベントは気になっていた。恩返しもある。今回は張り切って参加させていただきたい」と言葉に力を込めた。9月15日から中央区が運営する市場機能を持つ施設「築地魚河岸」3階の飲食スペースに出店することになった。今回は、この場所で「牛スジ煮込み大根」「エビチリ」「マグロやまかけ」の3品を各500円で提供する。
築地はしご酒実行委員会の委員長を務め、参加店としても汗をかく「長生庵」代表の松本聰一郎さんは「市場が移転しても築地の底力をお見せできるように企画したイベントなんです」と話して、いったん言葉を切って「今年で5年目。市場の移転直後で東都グリルが参加してくれるのはとんでもないパワーを感じる。多くのみなさんに今年も楽しんでいただきたい」と胸を張った。【寺沢卓】
(2018年11月4日付日刊スポーツ紙面掲載)